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ザ・ビートルズThe Beatles

ビートルズ

ビートルズは誰もが知るロック史上最大、最強のロック・バンド。 史上最も売れたアーティストであり、史上最も影響力のあるアーティスト。
62年のデビューから世界中のチャートを支配し、 どこの国でもビートルズの来国とコンサートは衝撃的だった。 ソロ・シンガーが通常だった時代にバンドという形態を広め、自分たちで曲を作った。 革新的な音楽、独自のファッション、彼らの考えは世界中の若者たちに 影響を与えた。 70年の解散後もアルバムは売れ続け、21世紀の現在も世界の音楽界に 君臨し続けている、英国のリヴァプール出身の4人組。

メンバー
ポール・マッカートニー・・・ボーカル、ベース
ジョン・レノン・・・ボーカル、ギター
ジョージ・ハリスン・・・ギター、ボーカル
リンゴ・スター・・・ドラム、ボーカル

「今日 新聞を読んだ oh boy 運がよくて大成した男の話が 載ってた どちらかといえば悲しいニュースだったが 僕は思わず吹き出してしまった」
by"ア・デイ・イン・ザ・ライフ"

クオリーメン→ビートルズ結成

ビートルズ

1957年にジョン・レノンがビートルズの前身バンド”クオリーメン”を 結成。
数ヶ月後、友人の紹介でポール・マッカートニーがジョン・ レノンと出会い、ジョンの誘いでクオリーメンに加入する。 翌年の58年、ジョージ・ハリスンがクオリーメンのオーディション に合格し、加入した。

2年後の60年にスチュアート・サトクリフが 加入。バンド名を”ザ・シルバー・ビートルズ”に変更。 そして、その数ヶ月後にバンド名が”ビートルズ”となる。 この名はバディ・ホリーの影響でジョン・レノンと スチュアート・サトクリフがつけた。

この年にピート・ベストが加入。 活動を続ける中、61年、スチュアート・サトクリフが脱退。 この年の末にブライアン・エプスタインがマネージャーとなる。 62年、デッカ・レコードのオーディションに落ちるが、 その後パーラフォン・レーベルと契約を結ぶ。 この年に、ピート・ベストが解雇され、リンゴ・スターが 加入。
体制が整ったビートルズは、62年10月にデビューした。

リヴァプールから世界へ”4人はアイドル”

ビートルズ

デビュー・シングル"ラヴ・ミー・ドゥ"がそれなりにヒットし、 セカンド・シングル"プリーズ・プリーズ・ミー"をリリース。 この曲が全英1位となり、空前の大ヒットを記録。 そして63年はじめ、ビートルズの ファースト・アルバム"プリーズ・プリーズ・ミー"がリリースされる。 1曲目の"アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア"から飛ばすこのアルバムは 誰も予想されなかった大ヒットを記録し、なんと 30週間(7か月半)にもわたって1位の座に居座った。その後も数枚の シングルをリリースし、特に"シー・ラヴズ・ユー"は衝撃を与えた。

ビートルズには若いファンが常に付いて周り、ビートルズを見てキャーキャー 叫ぶ若い女性がイギリス中に現れるようになる。 63年の末にはアルバム"ウィズ・ザ・ビートルズ"がリリースされ、 このアルバムも大ヒットした。 64年からはアメリカでもチャートを支配するようになる。 64年はじめ、ラジオ局がシングル販売前に オンエアしたことから人気が 高まり、"抱きしめたい"がビートルズ初の全米1位となり、 7週連続1位の大ヒットを記録した。 世界的な快進撃が始まりイギリスでリリースしてきた シングルやアルバムが世界各国でヒットしていくことになる。

そしてビートルズはアルバム"ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!" をリリース。このアルバムで初めて全13曲すべてがオリジナル曲となった。 このアルバムと同名のビートルズ映画も公開された。 64年末には、アルバム"ビートルズ・フォー・セール"がリリースされる。 ビートルズは出すレコードすべてがヒットし、 アメリカ・ツアーも成功して、世界最高のトップ・スターとなる。 65年、ビートルズは"4人はアイドル(Help!)"をリリース。このアルバムは ジョン・レノン の名曲"ヘルプ!"とポール・マッカートニーの名曲"イエスタデイ" を収録した傑作。このアルバムと同名のビートルズ映画も公開された

世界一の音楽家ビートルズ

ビートルズ

65年の末には、アルバム"ラバー・ソウル"をリリース。 このアルバムは ケルト、ソウル、フォークの要素とポップ・ソングの 要素を織り交ぜ、男女の恋愛の歌詞をそのメロディに乗せた傑作。 今までのアルバム以上に 完成度が高くなっており、この頃からビートルズはロックを改革していく。
世界ツアーも行い、66年6月には日本にも来日し衝撃を与えた。

66年8月、ビートルズはアルバム"リボルバー"をリリース。 前作からサウンドを一変し、テクノロジーを駆使して作り上げた 傑作。ホーン・セクション、オーケストラの導入、 多重録音など当時としては革新的なアルバムとなった。 ポールの巧みな物語の歌詞、ジョンのドラッグを投影した歌詞などが 印象的。

"リボルバー"リリースと同時期、ジョン・レノンの「ビートルズは キリストよりも人気がある」発言によって、キリスト教国で反ビートルズ運動が 起こる。ジョンの謝罪で納まりはしたが、この時の暴動は凄まじかった。
身の危険にさらされ、ホテルと会場を行き来する日々にメンバーは 嫌気がさし、66年8月29日のサンフランシスコ公演を最後に、ビートルズ はコンサート活動を打ち切った。

その後、少しの間4人は単独行動を取るようになる。 ジョージ・ハリスンは約1ヶ月間インドに滞在した。この間に シタールを習い、インド哲学を勉強した。リンゴ・スターは 家族とゆっくり休暇を過ごし、ポール・マッカートニーは 映画"二人だけの窓"のテーマ曲を作った。 ジョン・レノンは、反戦映画"僕の戦争"に出演。 この頃からオノ・ヨーコと出会い、そして2人は恋人へとなっていく。 後にジョン・レノンはオノ・ヨーコをレコーディング・スタジオなど に呼び、オノ・ヨーコはビートルズと行動を共にするようになるが、 これが引き金となり、ポールとの関係にひびが入るようになる。

66年12月にビートルズはベスト・アルバム"オールディーズ"を リリースした。

"サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド"

ビートルズ

ビートルズは1967年6月にアルバム"サージェント・ペパーズ ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド"をリリース。
イギリスでは国内最多アルバム・セールスを記録し、アメリカでは 15週連続1位を獲得した。
このアルバムは史上初のコンセプト・アルバムと言われ、 曲間がつながったこのアルバムに誰もが衝撃を受け、 爆発的なセールスを上げた。

このアルバムのレコーディングの頃から4人ともひげをはやし、 お揃いのスーツとマッシュルーム・カットはなくなった。 ポール主導で架空のバンドのショウになぞらえたコンセプト・アルバム を製作し、総計700時間かけてレコーディングが行われた。 この時間はこれまでのビートルズとしても、当時の他のバンドから 見ても異例の長さだった。

ジャケットのすばらしさも見方した。「ペパー軍曹のバンドが公園かどこか でコンサートを終えたばかりの場面」という設定で、ジョンとポールの意見を とり入れながら、前衛芸術家のピーター・ブレイクがデザインした。

ビートルズ・ファンのほとんどはこの アルバムがビートルズの中で1番だとは思っていない。 だが、たくさんのジャーナリストや評論家がこのアルバムを ロック史上最高傑作だと評している。
1967年度のグラミー賞では最優秀アルバム賞、最優秀コンテンポラリー ・アルバム賞、最優秀エンジニア賞、最優秀ジャケット・デザイン賞の 4部門を受賞した。

しかし、"サージェント・ペパーズ"が世界を制覇しているころに、 マネージャーのブライアン・エプスタインが67年8月27日に睡眠薬の多用で 亡くなってしまう。彼の死によってビートルズ4人のまとまりがなくなってくる ことになる。

絶頂期、そしてアビイ・ロードを渡り終焉へ

ビートルズ

ビートルズ

67年12月、ビートルズのテレビ映画"マジカル・ミステリー・ツアー" が公開され、公開と同時に この映画のサウンド・トラック"マジカル・ミステリー・ツアー" がリリースされた。 コンセプト・シングルである"ストロベリー・フィールズ・フォーエバー" "ペニー・レイン"などレベルの高い曲を収録している。

68年11月、ビートルズは"ビートルズ(ホワイト・アルバム)"をリリース。 このアルバムはビートルズ初の2枚組の大作。 何も印刷されていない白無地のジャケットとなり、4人の個性が表れたサウンドと なった。"レボリューション9""ヘルター・スケルター"など実験的な曲も多い。 メンバーが1人の音楽家として、クオリティへの深い挑戦が行われた作品。 ビートルズのアルバムの中で最も多彩な曲が見られ、圧倒的な質と量がある。

68年6月、ビートルズのアニメ映画"イエロー・サブマリン"が公開され、 69年1月にはこの映画のサウンドトラック"イエロー・サブマリン" がリリースされた。このアルバムは前半がビートルズの曲、後半がプロデューサー のジョージ・マーティンが作った曲となっている。

69年9月、ビートルズはアルバム"アビイ・ロード"をリリース。 ロック史上最も有名なアルバム名とジャケット。 このアルバムはビートルズのラスト・アルバムとなった"レット・イット・ビー" の製作が不完全に終わったため、ジョージ・マーティンとともに バンド・サウンドを復活させるべく製作された傑作。
ジョン作のシンプルな"ビコーズ""サン・キング"、ポール作のB面メドレー、 ジョージのシンセ導入、リンゴの"オクトパス・ガーデン"など ビートルズの終点にふさわしい名盤。
この頃には解散の噂だけでなく、 ポール死亡説までが流れていた。

1970年4月10日、ポール・マッカートニーはビートルズの解散を 発表した。そして1か月後の"レット・イット・ビー" リリース後、史上最高、世界最強のロック・バンドの歴史は 終ることになる。

70年5月、ビートルズのリハーサル、録音の風景を記録した映画 "レット・イット・ビー"が公開され、そのサウンドトラック "レット・イット・ビー"がリリースされた。 このアルバムには、名曲"アクロス・ザ・ユニバース"と"ザ・ロング・アンド・ワインディング ロード"、そして誰もが知っている"レット・イット・ビー"などが収録されている。
「成すがままでいいんだ、成すがままで」
by"レット・イット・ビー"

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